今日は12月10日(日)です。今日から「松井秀喜」の名言です。

今日は12月10日(日)です。今日から「松井秀喜」の名言です。

まずは「松井秀喜」について

○規格外の体格で生まれる

松井さんは1974年に石川県の能美市で生まれます。生まれた時から体が大きく、3歳で保育園に入ると、保育園史上最大の園児と言われるくらい規格外の子供でした。

そんな体格もあって小学校に入ると3年生以上から入団できる軟式野球チームに特別に入れてもらえることになりました。しかし監督の指示が理解できず、すぐに辞めてしまいます。しかし5年生になると兄の影響で再び野球チームに入り、そこから本格的な野球人生が始まりました。

当初からその才能は飛び抜けており、元々右打ちだった松井さんですが、あまりにも打球を飛ばすので友人たちが左で打つように勧め、それがきっかけでそれ以降左打ちになったと言われています。

○甲子園での5打席連続敬遠

小学校の時は野球と並行して柔道もしており、石川県で3位となり国体の強化選手にも選ばれるくらいの腕前でした。しかし中学進学を機に野球だけに絞ります。打率は6割を超え、3試合連続ホームランを放つなどの活躍をみせます。

高校は甲子園の常連校である名門星稜高校に入学。最初は投手でしたがすぐに野手に専念、1年生の時から4番で出場し「北陸の怪童」として名前が知れ渡るようになります。

その才能は全国区になっても変わらず、3年の夏の甲子園では5打席連続敬遠を受けます。その後この敬遠が物議をかもし社会問題にまで発展。対戦相手の監督に「高校生の中に一人だけプロの選手がいた」と言わしめました。

○巨人に入団。10年連続二桁ホームラン

高校時代の活躍でドラフトも注目される中、4球団から1位指名を受け巨人が交渉権を獲得します。松井さんの第一希望は阪神でしたが監督の長嶋さんから直接電話をもらい、それに感銘を受けた松井さんは気持ち新たに巨人の入団を決めました。

開幕前のオープン戦では苦しみ2軍スタートとなりますが、すぐにそこで活躍しシーズン序盤から1軍デビューを果たします。1年目のセ・リーグ高卒ルーキー新記録となる11本塁打を放ち、メジャーに行く2002年まで10年連続2桁本塁打を記録しました。

メジャー挑戦への最後の年となる2002年のシーズンは打率、本塁打、出塁率では自己最高の成績で史上8人目となる50本のホームランを打ちました。そして最高の成績を残し、その年の末にニューヨーク・ヤンキースへと移籍します。

○ヤンキースで愛され現役引退

メジャー2年目には自身のメジャー記録で最多となる31本塁打と108打点を記録します。2009年にはワールドシリーズでシリーズタイ記録となる1試合6打点を記録しワールドシリーズのMVPに選出されます。

同年にエンゼルスに移籍すると赤ゴジラと呼ばれ愛されます。古巣となったヤンキース戦ではかつてのチームメートが一斉に松井の元に駆け寄り抱擁するシーンも見られ、松井さんのまわりから愛される人柄が垣間見られました。

怪我にも悩まされ、満足な結果を残せないシーズンも多くなった松井さんは2012年に引退を表明。引退会見で一番の思い出を聞かれた際には「長嶋監督と二人で素振りした時間」と答えました。

引退後には国民栄誉賞を受賞し、現役時代の活躍からヤンキースのGM特別アドバイザーを務め現在もアメリカを拠点に活動されています。

◎自分にコントロールできないことは、いっさい考えない。考えても仕方ないことだから。自分にできることだけに集中するだけです。