今日は12月14日(木)です。今日から「松岡修造」の名言です。
まずは「松岡修造」について
○天才の兄、凡人の弟
松岡さんがテニスを始めたのは8歳の頃。
お姉さんとお兄さんがいる3人兄弟で、先にテニスを始めたのはお姉さんでした。その後、それを見てテニスに興味を持った松岡さんは一歳年上のお兄さんと一緒にテニスをやり始めました。
「体格や世界に通用するセンスに恵まれていたのはお兄さんだった」と松岡さん本人も言うくらい、周囲もお兄さんに注目し、松岡さんは情熱はすごいあるねと慰められる感じだったといいます。
それでもテニスの情熱を持ち続けた松岡さんは、日本ジュニアの大会で優勝するなど頭角を現し始めます。
○アメリカに渡りハングリーなプロ生活
それをきっかけにヨーロッパ遠征、そしてアメリカに渡り、プロテニスプレーヤーとなります。
プロに転向しても年間の活動資金は300万円ほどで、ここから大会への移動費や宿泊費を捻出しなければならず活動当初は寝る場所も格安モーテル、食事も満足に摂れないほど困窮したハングリーな環境だったみたいです。
○62年ぶりのウィンブルドンベスト8
そんな環境の中でも結果を残し続け、当時日本人としては偉業である世界ランキング100以内に入るまでになります。
そして1995年のウィンブルドンで日本人として62年ぶりとなるベスト8進出を果たし、男子テニス界で日本人の活躍は厳しいとされてきた中、世界に通用することを知らしめる実績を残しました。
○30歳の若さで引退
それと同時に多くの怪我にも悩まされた松岡さん。
半月板損傷や靭帯断裂なども経験し、それでも手術を受けながら現役を続けました。ですが30歳の若さで現役を引退を決意し、その後引退理由聞かれた際には「負けても全然悔しいと思わなくなった自分に気が付いてしまった」と語っています。
引退会見では「卒業」という言葉にこだわり、限界や無理といった表現は一切使わなかったといいます。
◎この一球は絶対無二の一球なり