今日は10月15日(日)です。今日から「長嶋茂雄」の名言です。

今日は10月15日(日)です。今日から「長嶋茂雄」の名言です。

まずは「長嶋茂雄」について

○手作りのグラブとボールで野球を始める

長嶋さんは1936年に千葉県で生まれます。兄弟は4人で長嶋さんは末っ子でした。また実家は農家を営んでいました。

長嶋さんが野球と出会ったのは幼少期、タイガースの伝説的な強打者である藤村富美男さんのプレーを見たことがきっかけでした。これにより将来は野球選手になりたいと思い、小学4年生から野球を始めます。

しかし当時は終戦直後ということもあり、道具も揃えることが難しい環境であったため、母親に手縫いでグラブを作ってもらい、手作りのボールで野球をしていたと言います。

○高校最後の大会でホームラン

中学生になると野球部に入り、さらに野球にのめり込んでいった長嶋さん。中学卒業後は地元の高校に進学し、そこでも野球部に入りました。

2年生で4番を任されるなど、活躍をみせますが高校時代はほとんど名前は知られていない選手でした。しかし3年の最後の大会でのちにプロ野球選手になる福島郁夫さんからホームランを打ちます。

このホームランにより一気に注目を集めた長嶋さんはスカウトの目にも止まり、ジャイアンツからのオファーも届きます。しかし父親の教育方針によりプロではなく、大学へ進学することになりました。

○大学からジャイアンツへ

立教大学に進んだ長嶋さんは大学リーグでホームラン記録を塗り替えるなど大活躍を果たします。そんな長嶋さんにはいろいろな球団がコンタクトを取ってきましたが、最終的にジャイアンツに入団することを決断します。

入団して早々、オープン戦で7本のホームランを打つなど、活躍を期待されていましたが、開幕してから4打席連続の空振り三振を喫します。この全ての打席が渾身のフルスイングであったため、長嶋さんの印象深いエピソードとして語り継がれています。

それでも徐々に頭角をあらわし始めた長嶋さんは、シーズン途中で4番打者となると、最終的には29本のホームランと92打点を叩き出し二冠王の活躍、また新人ホームラン記録を塗り替えるなどの堂々たる成績を残します。

○引退からジャイアンツの監督へ

翌年のリーグからも毎年のように活躍し、同時期にジャイアンツに所属していた王貞治さんと、プロ野球界を牽引していきます。1974年に長嶋さんは引退をしますが、その引退試合で王さんとともにホームランを打ち、現役最後の有終の美を飾りました。

引退後はジャイアンツの監督にも就任。そうそうたるメンツを率いて、長らく監督としても活躍しました。監督としての最後の試合は王さん率いるダイエーホークスとの日本シリーズでした。その運命的な一戦に勝利し日本一に輝いた翌年、監督から勇退します。

その後は病気で療養生活になりながらも野球の発展に精力的に活動され、2013年には松井秀喜さんと一緒に国民栄誉賞を受賞しました。

◎失敗は、成功のマザー。