今日は9月14日(木)です。今日から「徳川家康」の名言です。

今日は9月14日(木)です。今日から「徳川家康」の名言です。

まずは「徳川家康」について

○幼少期からの長い人質生活

家康は若干6歳の時、家柄の事情により忠誠の証として今川家に人質としていくことになります。しかし、今川家に向かう道中で何と護衛役が織田家に家康を売ってしまいます。

そこで2年間織田家に人質として生きながら、その後、人質交換の名目でさらに今川家に引き取られ、19歳まで人質として生きることになります。

○武田信玄との戦いに大敗

しかし織田信長が今川義元を桶狭間の戦いで打ち倒すことで、人質人生は終わりを迎えます。

信長と同盟を結び、城を築いた家康は反信長の武田信玄と戦いますが、戦巧者だった信玄に大敗し、命かながら生き延びました。武田信玄は家康なんぞいつでも倒せると思い、逃げる家康を追いませんでした。

家康はこの大敗を胸に刻むために肖像画まで残したと言われています。

○おじいさんの老体で天下統一

そこから織田信長、豊臣秀吉と仕えていた人物が天下に近づくにつれ、家康も力をつけていきました。

そして豊臣秀吉が亡くなり、関ヶ原の戦いに勝利した家康は晴れて日本のトップの座に君臨することになります。征夷大将軍となり、あの江戸幕府を開いたときには61歳。

諸説ありますが江戸時代の平均寿命が40歳前後だったことも考えるとかなりのおじいちゃんだったことがわかります。

○乱世の終結。200年を超える江戸時代を築く

その後100年以上続いた戦国の時代は終わりを告げ、家康が築いた江戸時代に突入します。なんと明治維新までの264年間を徳川家が治めていたのです。

そんな現代の入り口まで多大な影響を与えた徳川家康は75歳で亡くなります。

◎鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス