今日は8月20日(日)です。今日から「千代の富士」の名言です。
まずは「千代の富士」について
○スポーツ万能の少年時代
千代の富士の本名は秋元貢さんといいます。1955年に北海道の南西部の街、福島町で生まれました。家は漁業を営んでおり、千代の富士も幼少期からそれを手伝っていたといいます。
千代の富士はオリンピックの選手にもなれると言われるほど小さい頃から飛び抜けた運動神経の持ち主で、中学生の時には陸上競技の地方大会で優勝したこともありました。
ある日、知人の紹介で千代の富士を知った九重部屋の千代の山は、すぐに相撲部屋に誘うほどその類まれな才能を感じとります。しかし千代の富士本人はこの頃相撲に全く興味を持っていませんでした。
○15歳で初土俵
そんな千代の富士ですが「東京に来ると飛行機に乗れる」という誘いを受け、飛行機に乗れるならと千代の山と一緒に九重部屋へと行くことを決めました。
そして15歳の時に初土俵を踏みます。相撲経験はほとんどないながらもその才能は周囲の知るところとなりまが、千代の富士自身はあまり相撲に対して乗り気ではなく、中学を卒業したら故郷の北海道に帰る予定でいました。
千代の山はそんな千代の富士を相撲を続けるように説得し続けました。そんな心がけもあり、なんとか相撲の世界に留まった千代の富士は19歳で十両昇進を果たします。
○脱臼癖を乗り越え初優勝
翌年には幕内入りしますが、生まれつきの骨の形から肩が脱臼しやすい体だった千代の富士は、幾度となくその脱臼に悩まされ、長期離脱してもおかしくないような重傷を負います。
そんな時に病院の先生から「肩の周りを筋肉で固定した方がいい」と言われたことをきっかけに毎日500回の腕立て伏せなどの筋肉トレーニングを行い、鋼の体とも言われた筋肉を作り上げていきました。
その後は相撲のスタイルも変化させ、毎場所二桁勝利など幕内上位にも定着するようになります。そしてん1981年の1月場所では14勝1敗の成績を残し幕内での初優勝を果たします。
○数々の記録を残し国民的力士へ
この優勝により大関に昇進した千代の富士はその年の7月場所で2度目の優勝に輝くと、横綱に昇進します。その後の11月場所でも優勝すると、関脇、大関、横綱と1年の間で3つの位で優勝するという快挙を成し遂げます。
そんな快進撃を続ける千代の富士は人気を集め、「ウルフフィーバー」と呼ばれる社会現象になるほどでした。そして1988年には53連勝を記録するなど、無類の強さを誇りました。
その後も国民栄誉賞や前人未到の通算1000勝を記録するなど、歴史的な大横綱となった千代の富士は1991年に引退を発表しましす。
引退後は九重部屋を継承し、後代の力士の育成に励みます。そして2016年、61歳でその生涯を終えることとなりました。
◎礼に始まり、礼に終わる。勝った喜びより、敗者を敬うことを重んじる。それが相撲道だ