今日は8月4日(金)です。今日から「武田信玄」の名言です。

今日は8月4日(金)です。今日から「武田信玄」の名言です。

まずは「武田信玄」について

○戦国時代に生まれる

武田信玄は1521年に甲斐の国、現在の山梨県で生まれます。この時代の日本は全国各地にいる大名が天下を取ろうと、戦を繰り広げていた戦国時代でした。

信玄の父、武田信虎も国の陣地を拡大しようと戦に明け暮れていました。しかし、戦で頭がいっぱいだった信虎はあまり国内の情勢に目を向けていませんでした。

そのため農民は戦や年貢に追われボロボロ、家臣たちにも不満が募っていました。

○21歳で武田家の長に

そんな武田家の内情を抱えつつ、信玄は順調に成長します。彼は小さい頃より文武両道に優れており周囲も立派な後継ができたと安心していました。しかし、父親はそんな信玄をうとむようになり、次男の信繁の方を可愛がりました。

その後、信玄も戦に加わるようになると自ら軍策を練った戦いで、圧倒的多数の敵に対しても勝利するなど頭角を現していきます。

武田家は着実に領土を広げていきますが、父親のやり方に限界を感じた信玄は、信虎を隠居という形で国外追放し、21歳の若さで武田家の長となりました。

○政治家としても活躍

長となった信玄は、他国との戦だけでなく国内の統制にも力を入れていきます。そして政治家としての才覚もあらわし、様々な改革をしていきます。

その一つが田畑を水害から守るために築かれた信玄堤です。当時の甲府盆地は毎年のように川が氾濫し、作物や家さえも流してしまうなど、大きな被害を与えていました。

信玄はそれを食い止めようと20年もの期間をかけて600メートルの堤を作りました。その後この信玄堤は江戸時代になっても少しずつ増築され、400年経った現在は2キロ以上の長さになり、甲府盆地を変わらず守り続けています。

○天下を目指すも無念の病死

武田信玄もその他の武将と同じく天下統一を目指した1人でした。そんな数々の武将の中でもこの武田軍と上杉謙信率いる上杉軍の強さは天下一であったと、のちの天下人となる織田信長は語っています。

信玄はその上杉謙信と5回、なんと12年間の長期にわたる大戦を繰り広げます。この戦はその後、「川中島の戦い」として語り継がれていきました。

晩年は病に悩まされた武田信玄。天下取りに台頭してきた若き才能、織田信長を討つために京都を目指しますが、その途中で病気が悪化し、53歳で無念の死を遂げることとなります。

◎もう一押しこそ慎重になれ。