今日は7月28日(金)です。今日から「高橋尚子」の名言です。
まずは「高橋尚子」について
○岐阜県で生まれ中学から陸上を始める
高橋尚子さんは1972年に岐阜県で生まれます。高橋さんが2歳の時に岐阜市に引っ越し、陸上を始めてのは中学生の時でした。
中学校卒業後は運動部が強い岐阜県立岐阜商業高等学校入学します。高校でも陸上を続け800mの選手として県大会で優勝するなど活躍します。2年生の時には岐阜県代表に選ばれて駅伝にも出場しました。しかしどちらも全国大会では上位の成績は残せませんでした。
大学は大阪学院大学に入学し、800m、1500m、3000mで大会に出場し、関西では何度も優勝するなど中距離選手として活躍します。全国では優勝できないまでも2位や3位が常連となり、高校から比べ着実に全国レベルの選手に成長します。
○小出監督率いるリクルートに入る
その後は教育実習を受けるなど自身の進路に悩んでいた高橋さん。いくつかの実業団から勧誘もあったものの、高橋さんが行きたかったのは小出監督率いるリクルートでした。
大学の監督の計らいで小出監督と会う機会を得ますが、リクルートは大卒を採用していないと断られてしまいます。しかし、なんとか練習参加の了承をもらい、リクルートの北海道合宿に参加しました。
そこで高橋さんの走りを見た小出監督は一目でその素質を見抜き、契約社員という条件ではあったものの特別にリークルートに入ることができました。
○名古屋国際女子マラソンで初優勝
当時のリクルートにはバルセロナ五輪で銀メダルを獲得した有村裕子さんなど日本代表クラスの選手が揃っていました。そんなメンバーの中、高橋さんは1年目から駅伝メンバーに入ります。
その後小出監督がリクルートから積水化学へ移籍することになります。それにともない高橋さん含めリークルートに所属していた選手たちも積水化学へ移籍することとなりました。
移籍した翌年、1998年に行われた名古屋国際女子マラソンで高橋さんは当時の日本最高記録を更新し初優勝を果たします。そして同年行われたバンコクアジア大会でアジア最高記録で優勝し、世界からも注目されるようになります。
○金メダルと世界新記録
そして2000年にシドニーオリンピックに出場し、ルーマニア代表のリディア・シモンとトップ争いを演じます。最後には高橋さんがスパートで突き放し、日本女子陸上界初のオリンピック金メダルに輝きました。
オリンピックの翌年に行われたベルリン大会では当時の世界記録を1分近く更新する世界新記録で優勝し、日本人選手でただ一人世界記録を更新した選手となりました。
その後も数々の大会に出場した高橋さんは2008年に引退を表明し、翌年行われた名古屋国際女子マラソンでは一般参加で出場、ラストランを笑顔で終えました。
◎輝ける場は人それぞれ。いかに輝くかはその人次第だと思います。