今日は5月17日(水)です。今日から「坂本龍馬」の名言です。

今日は5月17日(水)です。今日から「坂本龍馬」の名言です。

まずは「坂本龍馬」について

○高知の土佐で生まれる

1835年に高知の土佐で生まれた坂本龍馬。

14歳で剣術を習うために道場に通いだすとメキメキと腕を上げていきます。その後もっと上達したいと江戸の道場を訪ね、そこでの修行を重ねていきます。

龍馬が江戸にいた頃、ペリーの黒船が神奈川に来航し、龍馬は外国の力を目の当たりにすることになりました。外国と対等に渡り合うにはまず相手を知らなければと考え、積極的に外国に関する知識を蓄えていきます。

その頃は幕府倒幕に揺れていた時代で、各地で天皇中心の政治に戻そうとする、武士たちの活動が盛んな時でした。中でも龍馬がいた土佐藩や周辺の長州、薩摩は政治を動かせるくらいの強い力を持っていました。そのため各藩に倒幕を願う動きはあるものの、それぞれ独自に動き機会を伺っていました。

○勝海舟との出会い

しかし藩や武士という枠組みを嫌った龍馬は当時では重罪とされた脱藩をして、土佐藩を出ることを決断します。

その後、初めて日本が太平洋を渡りアメリカに行った時の艦長をしていた勝海舟を訪ねます。外国や勝海舟の考えを聞いた龍馬は感激し、その場で弟子入りを志願しました。

勝海舟は船の動かし方を教える海軍操練所という学校を神戸に作り、龍馬はそこの塾頭となります。龍馬は自分で船を動かせる技術を身につけ、外国と自由な貿易をしたいと考えていまいた。

○長を結びつけた薩長同盟

その頃、時代はますます倒幕の動きが強くなります。幕府の番人で有名な新選組も暗躍し、争いが拡大していました。

幕府の力が弱まっているとはいえ、まだまだ藩一つだけでは力の差がありました。藩同士で協力しようにもあまり仲が良くなく、特に悪かったのが薩摩と長州藩で、幕府もそれを利用し、ことあるごとに薩摩と長州が争うように仕向けていました。

このままだと新しい時代は来ないと感じた龍馬は薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎を引き合わせ薩長同盟を結ばせます。その時活躍したのが亀山社中という龍馬が作った海運会社で、船で物の流通を整え、薩摩にも長州にも利益が出る仕組みを作り、まず経済的な結びつきをもたらしました。そしてその後に本格的な同盟の話へとつなげたのです。

坂本龍馬の一番の功績がこの薩長同盟だとも言われています。

○大政奉還を提案

この同盟により、倒幕の力を強めた薩摩と長州ですが、龍馬は幕府を倒すことでたくさんの血が流れてしまうことを案じます。国内だけに目を向けていてはダメ、倒幕で国が弱った時、次は外国に攻め込まれる。そのような先の未来を見ていた龍馬が考えたのが無血の倒幕、大政奉還でした。

幕府が朝廷に政権を返し、新しい日本政府を作る。そしてその時の将軍、徳川慶喜にも新政府の一員に加わってもらうことで幕府にも納得してもらうように考えます。そしてついに1867年に将軍は政権を返還することを宣言し、250年続いた徳川幕府は終わることとなりました。

同時に新しい時代が幕開けし、龍馬は新政府を作るために日本中を飛び回りますが、そんな最中、京都の宿にて暗殺されてしまいます。龍馬はその時33歳でした。日本の新しい時代を夢見て奮闘した青年は、その時代を見ることなく無念の死を遂げるのでした。

◎日本を今一度 せんたくいたし申候