今日は4月4日(火)です。今日から「樹木希林」の名言です。

今日は4月4日(火)です。今日から「樹木希林」の名言です。

まずは「樹木希林」について。

○スキーの怪我により女優の道へ

樹木希林さんは1943年、東京で生まれます。父は薩摩琵琶の演奏者のかたわら、警察官としても働き、母は神保町でカフェを経営していました。

高校生の頃は演劇部に所属してたものの、将来は薬剤師を目指していました。しかし、大学受験の直前にスキーで足を怪我し、そのまま進学を断念。たまたま見かけた文学座の広告を見て、研究生として劇団に入ります。

希林さんは「もともと女優になりたかったわけではなかった」と語っていたように、いろいろな運が重なり女優の道へと進んだみたいですね。

○若くして女優として活躍

最初は悠木千帆(ゆうきちほ)という芸名で女優をスタートさせた希林さん。21歳の時に森繁久彌さん主演のドラマ「七人の孫」に出演し、一気に人気を集めます。

希林さんが芝居の面白さに気づいたのはこの時の森繁さんとの出会いだったようで、森繁さんの撮影しながらその場で瞬時に「人間」を作っていくやり方が自分の性に合っていたと語っています。

その後も希林さんは数々の映画やドラマに出演し、女優としてのキャリアを積み重ねていきます。そして34歳で芸名を「樹木希林」に改名、「樹や木が集まり、希な林を作る」ということがこの名前の意味合いだと言われています。

○内田裕也さんとの結婚

そして30歳の時にミュージシャンの内田裕也さんと結婚します。その後一人娘である也哉子さんをもうけますが、内田さんとの結婚生活はわずか1年半ほどで、その後はずっと別居状態でした。

そんな独特な夫婦関係を築いていた内田さんと希林さん。1981年に内田さんが無断で離婚届を役所に提出しますが、それを認めない希林さんとの間で訴訟問題にまで発展。結局、希林さんが勝訴し、離婚は無くなりました。

その後、希林さんが癌になってからは交流も多くなったみたいで、内田さんは「あの時離婚しなくてよかったな」と希林さんに伝えるなど、晩年は素敵な夫婦関係だったようにみえました。

○晩年は病気とのたたかい

希林さんは60歳の時に突如、網膜剥離により左目の視力を失うと、62歳で乳がんを患い、その後癌が全身にみつかるなど、常に病気とのたたかいでした。

亡くなる直前まで映画に出演し続けた希林さん、75歳の時に自宅で家族に看取られながら、その人生を終えました。

◎求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから