今日は1月10日(火)です。「安藤忠雄」の名言です。

今日は1月10日(火)です。「安藤忠雄」(建築家)の名言です。

 

〇17歳の時にプロボクサーになる

安藤忠雄さんは1941年に大阪で生まれます。安藤さんは生まれてすぐに祖父母に引き取られ、世界大戦末期の時代のなか、幼少期を過ごします。

小さい頃はとてもやんちゃで、勉強よりも外で一日中遊んでいるような子どもだったという安藤さん。中学2年生の時に、自宅を改装にきていた大工さんの仕事を見て、建築という仕事に心惹かれたといいます。

しかし高校生になった安藤さんは、双子の弟さんがボクシングをしていた影響からボクシングを始め、なんと17歳でプロデビューも果たします。しかし才能の限界を感じ1年半ほどでプロとして生きていくことを断念しました。

 

〇高校卒業後、建築の独学をはじめる

その後、高校を卒業しますが、大学に行けるだけの経済的な余裕はありませんでした。中学生の時に感銘を受けた大工の仕事から、建築を勉強したいと思っていた安藤さんは、建築学科に進んだ友人に頼み、専門書を買い込みます。

大学生が4年で勉強することを自分は1年で終わらせよう。そんな意気込みで、一日中本と向き合いう生活をおくります。また世界的建築家ル・コルビュジエの作品集を手に入れ、何度も図面を描き写すなど、独学で建築を学んでいきました。

そんな勉強の末、難関と言われる一級建築士の試験も一発合格します。安藤さんは本だけでなく実際に建築を見にいくことを大切にし、日本各地の伝統建築物を見てまわり、知見を深めました。

 

〇28歳で建築事務所を設立

また24歳の時には海外に飛び出し、約4年の期間をかけてアジアだけでなく、アメリカやヨーロッパ、アフリカなど様々な国々を旅しました。

帰国した安藤さんは28歳の時、梅田駅の近くに建築事務所をひらきます。特に実績もなかったため当初は小さな個人住宅の設計を多く手がけました。

そんな時の1976年、35歳で設計した個人住宅「住吉の長屋」が高く評価されたことをきっかけに、仕事の規模も少しずつ大きくなっていきました。

 

〇大病を乗り越え、世界的な建築家へ

その後も、コンクリートの壁から十字架の光が差し込むデザインが印象的な「光の教会」や、直島のアートプロジェクト、また海外でもイタリアやアメリカなどの美術館を設計するなど代表作を多数残します。

またアメリカの名門コロンビア大学やハーバード大学で客員教授を務め、56歳の時には東京大学の建築学科の教授に就任し、次世代の教育にも尽力します。

2022年現在、81歳の安藤さんですが、実は様々な癌を患い、胆嚢や十二指腸、膵臓など5つの臓器を全摘出しています。そんな大病を乗り越えながら、安藤さんは現在も精力的に建築に向かっています。

 

◎モノをつくろうとする人間にとって、大切なのは、どれだけの感動に出会えるか、

 それを若い多感な時代に積み重ねられるかにかかっているのだと、改めて思う。